議論の下手さ、説得力のなさ、頭の悪さ
安保法案でも、裁判員裁判でも、TPPでもなんでもいい。
とにかく、賛否がある程度割れるであろう議案を想定して欲しい。
最近はtwitterやらの普及でこのような議案に自分の意見を述べる機会がとても増えている。
だがそこで展開されている自己の意見というものはほとんど稚拙だ。
簡単にいえば、「賛成だから賛成だ」若しくは「反対だから反対だ」しか述べてない。
自己の意見を支持する理由がない、自己の意見と反対の意見を批判する理由がない。
仮に安保法案に賛成する立場で考えてみる(政治的な思想は一切有してない)
まず賛成者がすべきは安保法案に賛成する理由だ。
なぜなら安保法案は旧来の憲法9条の解釈を変えるものであり、現状からの変更をもたらすものなのであるから、賛成者は賛成の理由すなわち安保法案のメリットを述べる責任があるはずだ。
しかし、世に溢れてる安保法案賛成の発言はどうか。
「安保法案は戦争法案ではない」
「安保法案は解釈の限界を超えてない」
だいたいこんなものだ。本当にこんなものだ。
これは賛成の理由を述べてない、反対に対する批判を述べてるだけだ。
反対の意見を批判したとしてもそれが賛成の意見を補強することはあっても根拠付けることはない。
だからまず安保法案が成立することによるメリットを述べる。
次にそのメリットは本当に安保法案によって達成されるのかを述べる。
その次に安保法案が成立することによって懸念される不安材料(反対者の反対根拠)が成立し得ないことを述べる。
もし不安材料が一定程度は避け得ないと判断するならば、それでも成立させるべきであることの理由を述べる。
議論はこういった段階を経てなされるべきだ
それができない人と話すことは非常に疲れるし非生産的だ。
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